奥志賀
今日は私の好きな奥志賀の話をしましょう。
奥志賀、といえば、皇太子(現天皇皇后両陛下)ご夫妻が春にスキーに訪れていた所として有名ですね。
志賀高原は、小学校2年生の頃、夏に訪れました。
その前は五色温泉というランプの宿に数年。
初めての志賀高原は発哺温泉でした。
丸池でボートに乗ったり、東館山へロープウエイで上がったり。
大沼池中心に池巡り。志賀山の信州大の自然探索コース。
今でも、行きたい、歩きたい、と思います。
高校2年の初スキーで感じた劣等感から、スキーがうまくなりたかったこともあり、
受験が終わったら、父に誘われ、奥志賀高原ホテルに向かいました。
当時奥志賀は、長野電鉄が開発し、別荘地とスキー場で高級リゾートを目指していました。
神津家の一人が父の勤務先の同僚で、優待してくれたように思います。
正月などハイシーズンには100名以上が奥志賀スポーツハイムで5泊6日での講習を受けました。
年末年始の予約にも、長野電鉄の支店に初日に並んだりしました。
当時はまだ、ゴンドラもなく、リフトを乗り継ぎました。
大学を卒業した春は、スクールに長期に滞在し、裏菅山へ登り、山頂からの滑降の体験をしました。
医師になってからも数年、杉山スクールへ行きました。
この頃ゴンドラが山頂までかかり,山頂からのノンストップ滑降ができるようになりました。
しばらくブランクがあり、子供達と一緒に奥志賀高原ホテルへの訪問が再開しました。
野沢のスタカ湖でテントに1泊、翌日奥志賀高原ホテル、というプランもありました。初回は大雨でテントに泊まれず、そのまま高原ホテルへ向かったこともありました。
当時はまだ温水プールもありました。
時は流れ、最近は家族とは別に、毎年年末年始に単独で奥志賀でスキーをしています。
ホテルからのスキー場リフト乗り場へのアクセスが楽なことが一番のメリットです。
初めて泊まった当時の建物、部屋を好んで予約します。
設備の古さも少々ありますが、自分の工夫で対応し,予約する部屋も決めて、自分の別荘のようです。
この間、奥志賀高原ホテルの所有者が次々に変わり、伝統のサービスが変化する経験をしました。
恋人が変わっていく悲しみを味わうようでした。
しばらく夏が休館になりましたが、最近は、夏も営業されています。
現在は混乱も落ち着き、安心して泊まれるようになりました。
グランフェニックス奥志賀も素晴らしい建物ですが、私の愛着は奥志賀高原ホテルにあります。